心の機能と医療事故(下)

(9月21日掲載の(上)の続きです。)

カーネマンによると脳内には2つの思考モードがあり、システム1とシステム2に分けられているとのことです。彼によるとその特徴は以下の様です。

システム1 自動的で高速で働き、努力は全く不要か、必要であってもわずかである。また、自分の方からコントロールしている感覚は一切ない。

カーネマンが挙げる例 2つの物体のどちらが遠くにあるか見て取る、突然聞こえた音の方角を覚知する

医療現場での例(櫻井記載) 患者が具合悪そうな顔色をしていると感じる、患者の様子がいつもと違う

システム2 複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは、代理、選択、集中などの主観的経験と関連づけられることが多い。システム2の働きは多種多様だが共通する特徴は注意力が必要なこと

カーネマンが挙げる例 人の大勢いるうるさい部屋で特定の人物の声に耳を澄ます、自分の電話番号を人に伝える

医療現場での例(櫻井記載) 輸血投与で間違いが無いか番号を確認する、多くのデータの中で意味のある危険な値を見つける

システム1は自動的に遂行されて無自覚に働くが、システム2は意識的な注意力を持続させることが必要となります。システム2を働かせる際には精神的な努力が必要となり、その際には瞳孔が散大することが報告されています。ユングの古典的な心理学の言葉で言うと、感覚で得られた情報を直感的に判断した後に思考を使って調整をしていくといったイメージですが、カーネマンの著書からは数々の心理学的な実験に基づきかなり沢山のことが解ってきています。

私がこの考え方が医療安全で大切だと考えたわけは、医療事故の中にはシステム1とシステム2の違いを考えながら解析や解決方法を考えた方が寄り理解が深まると感じるからです。

システム2が稼動して何かに集中していると、他の物が目に入らなくなります。クリストファー・チャブリスとダニエル・シモンズの「錯覚の科学」(木村博枝訳 文藝春秋)に衝撃的な実験が報告されています。あるグループに白シャツチームと黒シャツチームがバスケの試合をしている動画を見せて、白シャツチームのパスの数を数える(システム2で集中する)課題を与えます。その動画の真ん中ぐらいでゴリラの着ぐるみを着た女性が9秒間出てきて胸をたたいて出て行きます。延べ数千人の検討で約半数の人が、ゴリラが出てきたこと認識できなかったとのことです。これはあるシステム2のタスクをこなしている際には別の物が目に入らなくなることを示しています。

医療現場では何か仕事をしている看護師に脇から指示を出す医師を時に見受けます。その指示が見過ごされて医療事故となった際に何を考えるかということです。看護師のタスクはシステム2を用いて行っていることがほとんどであり、その途中での刺激は当然見過ごされるのでは無いかと、上記の事を知っていれば即座に思い浮かびます。

カーネマンの著書からは医療事故の解析や防止方法にとっては、もっと示唆にとんだものが多くありそうですが今回はここまでとしますが、示唆に富む事例が出た際にはまた報告致します。

*本稿は私見であり、私が所属するいかなる組織の公式見解ではありません。

(櫻井 淳、日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野 診療教授)