心の機能と医療(1 診断と五感)

20世紀の初頭に活躍した心理学者にカール・グスタフ・ユングがいます。分析心理学を創設して様々な文化シーンに影響を与えた巨人です。私も若いころユングのシンクロニシティの理論に接し、しびれたことを思い出します。その彼が心の機能の類型として挙げたのが思考、感情、感覚、直観でした。私は専門外故にユング心理学そのものを語る資格は無いのですが、天才ユングが分類したこの4つの心の機能の分類の視点から救急医療や医療安全を語ることはかろうじて許されるかと考え、今回考察してみます。

医学的知識を持って適切に思考する事は正しい診断や治療に至るための必要条件ですが、これだけでは必要にして十分ではないのです。膨大な医学知識を記憶しそれらの知識を適切なタイミングで取り出して使う能力は医師国家試験に受かった後に日々修練を重ねやっと身につくものです。しかし、適切な医療は思考のみではできないのは、医学が人間を相手に行う実学だからです。

患者さんと接した際に患者さんから受け取っている情報は言語情報だけでは無いのです。五感で表せば視覚、嗅覚、聴覚、触覚より、すなわち味覚以外の全ての感覚から患者情報は入ってきます。服装、体格、皮膚の状態の様な無数の視覚情報、ある疾患の独特のにおいといった嗅覚情報、しゃべり方のトーンや力強さといった聴覚情報、触診時の皮膚の感じや温度といった触覚情報というように対面しないと得られない情報が多数あります。そして、自分の感覚器を通して入ってくる患者情報が、知識・経験と結びついて初めて診療が可能となるのです。

私が医学生であったとき、現在でも尊敬しているある先生に「腰が軽い医者になれ」と言われました。これは何かあった際にすぐに患者の元に行きなさいという教えです。夜に患者の指示を電話で仰いでくる看護師の対応は寝ているところを起こされるため非常につらい場合があります。でも、電話口から得られる看護師からの言語情報のみでは判断が出来ないことがあり得ます。実際にベッドサイドに行かないと得られない五感を通した感覚情報があるのです。(「2 診断と直感」に続きます。)

*本稿は私見であり、私が所属するいかなる組織の公式見解ではありません。

(櫻井 淳、日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野 診療教授)