地域社会と血縁、医療

先日、父が急逝いたしました。高齢であり平均寿命を超えていたため大往生でしょう。今年の正月に会った際には、救急医という仕事で日頃より多くの方の死に接しているので、これで最後かなといった予感があったので心静かに見送りました。そこでの体験で考えたことを述べます。

私の出身地は長野県の盆地であり、そこに戦国時代の共通の祖先をもつ父方の親族集団があり一族がいますが、これは学問上の定義では父系リネージと呼ばれる血族となります。地元を離れた私にとって普段では一族ということに関しあまり意識してないのですが、この度の父の葬儀は一族が執り行う形を取り、未だに私の地域では血族を中心とした社会的なシステムが現在も動いていることが実感できました。フランシス・フクヤマが家族と国家の間にあるシステムが社会(ソサイエティ)に重要であると書いていましたが、血族もこの様なシステムの一部であるのだと考えます。田舎暮らしの窮屈さの代表の様に言われるこのシステムも、重要な社会資本であると考えられます。今回の父の葬儀もこれらの血族システムの支えがなければ、地域社会の一員としての葬儀はとても行えませんでした。

最近の遺伝子等の研究によると現人類(ホモサピエンス)が最初にアフリカを出てから約10万年とのことです。それほど前ではないのですね。私の祖先も、10万年前にアフリカを出発して代を重ねながらいずれかの段階でこの地にたどり着いたのだということが思い浮かびます。

また、深沢七郎の楢山節考では、食糧事情の厳しかった昔の信州について書かれています。老いて歯があることはまだ食べる気かと思われ恥であるため、主人公の老婆が自らの歯を石で折る場面は衝撃的でした。本を読んだ際に、私の先祖も苦労してこの地に根付いていったのだなと考えたことを思い出しました。

10万年前に人類がアフリカを出てそれぞれの地にたどり着き、そこの風土でそれぞれの社会システムを構築したのでしょう。その中の一つに自分が属しているという実感を今回得ました。

世界的に見ても近代化により多くの血族システムが既に失われ、また現在進行形で失われつつあることが予測されます。私自身は家を出るまでは血族システムの下で育ちましたのでこのシステムを実感できます。でも私の下の世代にとってこのシステムは他の国の話の様に完全に異質なものと感じるでしょう。また、都市部に住み、既に血族システムのネットワークから外れた日本人には実感できない方が多いのではないでしょうか?日本の高齢化や人口減少での対応の中でこれらの血族システムを含む地域社会が失われつつある事が、介護・医療に大きな影を落としています。血縁を中心とした地域社会は医療・介護にとって重要なセーフティネットですが、一度破れたら繕うのは困難であろうと考えます。

*本稿は私見であり、私が所属するいかなる組織の公式見解ではありません。

(櫻井 淳、日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野 診療教授)